『マトリックス』

実はデカルト的哲学映画!?

『マトリックス』について、私は多くの秘密を語る事できませんが(爆)、ひとこと
で言ってしまうと、エヴァともののけの末に進化の袋小路に行き詰まったジャパニメ
ーションと、本国での脱アクション路線に行き場を失った香港カンフーアクションが
、映画のデファクト・スタンダードな存在であるハリウッドに吸収され生み出された
キメラなんじゃないでしょうかねえ。果たしてこの後この路線が定着するか、興味深
いところです。

『マトリックス』の骨組みとディテールの基は、まぎれもなく『攻殻機動隊』(ネッ
トワークとの接続に後頭部のコネクターを使うところや、モーフィアスのグラサンが
バトーの義眼そっくりだったりすることなどからも明らか)なんですが、その世界観
はといえば、私なんかはもろユダヤ−キリスト教観+デカルト哲学の融合体じゃん、
と感じてしまったのでした。

ヨーロッパの近代哲学は、例の『神は死んだ』の有名な一言で始まったようです。そ
れまで世界(というか人間)を支えてきた神という至高の存在を、自然科学によって
自ら葬り去った欧米人は、神に代る存在を探す必要があった。で、当然の様に一番身
近な存在である自分自身が見つめ直される事となったワケですな。(至高の存在を求
めてUFOやオカルトに『逃げた』ごく少数の人々もあったようですが...)
デカルトの『我想う、故に、我在り』という思想は、その後サルトルの実存主義を経
て、価値の相対化を行なう構造主義へと変化するワケですが、この映画の世界では、
デカルト哲学が幻想と現実という二元論で示されている。つまり、この世が全てマボ
ロシであったとしても、最後に世界を考える自分自身は唯一の真実なのだぁ、とモー
フィアス達は言ってるワケで、幻想=悪、現実=善という二元論を展開する。
となると、なにも知らない連中を巻き込んでまで世界を変革しようとするモーフィア
スの行動も説明がつくというものです。よーするに、人類がつくり出したAIに支配
される世界は、たとえその世界に住む連中にとって安楽であったとしても『本来の』
人間の姿ではない。人間は『本来の姿』を取り戻すのだぁ!!という二元論に立って
モーフィアスは行動してるワケです。どーいうわけだか、この二元論(二元論はユダ
ヤ−キリスト教の教義みたいなもんで、異教徒または悪魔の完全なる廃絶を目指して
ます)を完全に肯定すると、マトリックス世界では無敵になれるらしい。いわば『解
脱』した状態ともいえますが、仏教世界の解脱が、幻想現実含めて世界の全てを肯定
も否定もしない事であるのに対して、ネオの場合は、マトリックス世界の完全否定と
いう形で解脱を果たしたという事ですかねぇ。

ところが、ウォシャウスキー兄弟が『お手本』にした押井守はそうは考えない。
『攻殻機動隊』の劇中、草薙素子は、ふと今存在している自分自身についても、これ
は誰かのマボロシではないかと考える。サイボーグとして生身の肉体を持たない彼女
にとっては、脳だけが現実との接点なのですが、脳の姿そのものは自分で確かめる事
は出来ない。たとえ出来たとしても、人間というフィルターを通して感じる世界がマ
ボロシでないと、誰に断言出来るだろう。仏教に『色即是空』なんて言葉があります
が、よーするに押井監督の世界においては、世界のタマネギの皮を剥こうとうする気
はハナからない。人間には現実を認識することなんかできない、という諦観がある。
『人形使い』は人間に幻想をあたかも現実のごとく認識させる存在だが、決して悪で
はない。それも可能性のひとつなのだ。(攻殻機動隊)
世界はひょっとしたらもう戦争状態なのかもしれない。戦争か否かはその世界に接し
ている人々の認識の問題なのだ。(パトレイバー2)
あたるが目覚めた世界は、ひょっとしたら、ラムちゃんのインナースペースである可
能性だってある。(ビューティフル・ドリーマー)
かような具合に、押井監督は常に幻想と現実のありかたについて(しつこいくらいに
)繰り返し描いてきましたが、これは現実≒幻想という点で、先の二元論とはずいぶ
ん違う、極めて東洋的な考え方です。でもユダヤ−キリスト教徒には理解できないだ
ろうなあ。

私なんか、岸田秀さんの考え(唯幻論)に接して以来、絶対的な価値観について懐疑
的な見方をする様になっちゃったものだから、マトリックスの世界に戻りたいという
裏切りモノが現れても、心情的に理解出来ところがあるなあ。キビシイ現実世界より
、安楽なユメの世界の方が良いという彼を誰が責められましょうぞ。幻想の中にいる
当人にとっては、他者にとってマボロシの世界であっても、その世界は現実なんですな。
モーフィアス(とその仲間)は、極めて主観的な価値観でもって、他人を引き込もう
とする。やっぱ全部話してからドロップを選ばせるべきだよなあ。でもユダヤ−キリ
スト教観に支配された欧米人の多数は、赤いドロップ(現実)を選ぶんだろうなあ。

この後続編の製作が決定されているらしいので、果たしてこのままハリウッド映画の
セオリー通り現実(人間・善)が幻想(AI・悪)を倒すのか、はたまたドンデン返
し(『現実世界』のイカロボットや潜水艇が妙にチャチなのはその伏線?)が用意さ
れているのか、まずはPART2を待ちたいとこです。

それにしても、この映画の映像表現はスバラシイ。バラバラと砕け散る壁、ヘリがぶ
つかってブワーンとたわむ窓、衝撃波?を引きずる弾丸、ああ、何度でも見たいキモ
チ良いシーンじゃ。この部分だけプロモビデオにしてくんないかなあ。押井監督は『
攻殻機動隊』の時、あえてアニメにこだわったといってたけど、ホントは実写でこー
ゆーの撮りたかったんじゃなかろうか。そんな押井監督に『マトリックス』パンフの
解説頼むなんざ、配給元もずいぶんブラックなジョークを用意するもんですなあ。

注)文中哲学・宗教用語がいろいろ出てきますが、私のヨタ話として誤記誤用があっ
てもあまり深く追求しないでくださいね。



 
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