『ファイトクラブ』

殴れ!破壊だ!開放せよ!

注意!この映画は大変刺激が強いので、下記の症状がある方は観てはいけません
・相田みつをが好き
・癒してほしい
・生きがいがボランティア
・脂肪吸引したい
・カードローンで地獄だ
・破壊したい
『小人閑居して不善を為す』という諺がある。『下手な考え休むに似たり』もある。 どちらも“ボンクラが色々考えてもロクな事はないという意味だ。とかく我 々近代人は、目的もないのに勉強して小賢しい知恵がついたせいか、一寸挫折したく らいですぐに『生きるって何?』自問自答のウロボロスの蛇思考に自分を追 い込んでしまう。しかし自分を見失う連中というのは、実はなまじ知恵のあるボ ンクラだ。学歴自慢だけのモラトリアム青年は「このままでいーのだろーか」・ ネどと言いつつオウムに入れ上げたり、一流企業のボンクラOL時代を懐かしむ主 婦は「このままでいーのかしら」などと言いつつものみの塔にオルグされてしまう。これが野望に燃える連中、たとえ ば出世街道驀進エリート官僚なら、「大蔵省で事務次官まで出世してノーパンしゃぶしゃぶ接待してもらって天下 って女の二三人でも囲うのじゃ」と思っているだろうし、また欲望に燃える連 中、たとえば金とコネがあるリビドー全開のボンボンなら、「親のコネで電通に就職してタレントの二三人もコマして女子アナと結婚し本 上まなみをメカケにするのじゃ」と思っているはずである。こういう連中は目 的を完遂するのに忙しくて自分を見失ってるヒマなぞないハズである。 『ファイト・クラブ』は、欲望もリビドーも中途半端なボンクラ連中が、アナーキーでデンジャラスな肉体言語によって、現実世界に対する統 一感を再び取り戻すという物語である。 主人公ジャックは、どーでもいい仕事に忙殺されるあまり、不眠症に悩まされていた 。自分は確かな存在なのか?自分を見失ったジャックは、まず互助サークルに救いを 求めるが、そんなので自己開放されるのは相田みつをの字で感動する癒されボケした自傷ナルシストくらいだろう。実際ジャックはマーラ に癒されたがりのトラウマを突つかれてサークルを出ざるを得なくなる。これってオタクが自分のいたサークルを見限って出ていくのと構造的に同じだなあ。 そしてジャックは偶然出会った謎の男タイラーに、男なら殴れ!破壊だ、開放しろ! とアジられて、肉体言語により自己を開放しようとする。なぜなら観念的自分探 しはどこまで行っても幻想だが、肉体の痛みだけは真実だ、それも痛みが大きけ れば大きい程現実とのより強い繋がりを感じる事が出来るからだ。そういえば自己啓 発セミナーはやたらと肉体に苦痛を与えるよなあ。与えられ過ぎてミイラになる人もいるけど。 そしてタイラーの存在がジャックを魅了するのは、タイラーがジャックのエスだからだ。あ、これ以降はネタばれになるから、まだ劇場で観てない人は読まないでくださいね。 エスとは抑圧されたリビドーである。要するに「酒井若菜のチチ揉みたい」とか「福岡翼のケツの穴にマイクをネジ込みたい」・ ニか「ガイナックスに放火してエヴァDVDを奪いたい」とかいうミもフタもない 衝動の事である。ホントに実行したら犯罪者になってしまうので、普通我々 はこうした衝動を抑圧している。タイラーのカリスマが強烈なのは、彼が普段我々が 抑圧している衝動のまま行動するからだ。自分が出来ない事をしてくれる、彼に ついていけば何かが変わるかもしれない、自分がボンクラなんじゃない、世界が間違ってるんだ、この世界を変革する のだ!! ....って、まんまオウムの暴走やがな。 ところでこの部分って、『シックス・センス』の1000倍はすごい衝撃の事実だと思うんで すけど。 ところで、開放されたエスが自我を振り回すというのは『マスク』と同じ展開だなあ 。こちらはスタンリー君が自らの秘めた欲望に目覚めて、キャメロン・ディアス をモノにするという個人的願望充足結末だったが、『ファイト・クラブ』はねえ .....フィンチャー監督が、カリスマにつられたボンクラどもの暴走の行き着く 、ダークでアナーキーな結末を用意しているのは、『エイリアン3』と『ゲーム』でファンと業界から見放されたという、あまりに深い怨念故でしょう。当然『ファイト・クラブ』も観る人のトラ ウマ度によって大絶賛かド顰蹙が激しく別れるところだと思う。私の場合は、多感な 思春期に「健全なる精神は健全なる肉体に宿る」とかいう選民思想にいわく言い難 い程の欺瞞(要するに運動があまり得意でなかったというトラウマ)を感じてい たので、この映画の本気汁には諸手を挙げて賞賛したい。とにかく内容も狂っているが、登場人物もみんな狂ってる。中でもブラピは最高にカッコいい、キレっぷりが素晴らしい。童貞の死神や、ナチ の手先の山男など演ってて大丈夫かいなと思っていたが、『12モンキーズ』もかくや のクルクル演技は健在であった。やはり彼の魅力は屈折トラウマ監督が引き出すダークサイドなの ではないか。エドワード・ノートンも『アメリカン・ヒストリーX』でチンピラ黒人をブチ殺す人種差別主義者を演るんだそうな。ファイトのし過ぎで狂ったか? 何にしてもこの映画は1999年の最高傑作だ。少なくとも『アルマゲドン』の ような“タレ流し爆発映画”の1億倍まともな映画である事は間違いない。ただこの映画を観た日本のボンクラどもが『東京ファイト・クラブ』など結成して、スターバックスに砲丸を投げ込まないか、それが心配な今日この頃 なのです。キャラメルマキアート飲めなくなったら困るもんね。 ところで福岡翼はどうにかならないものだろうか。リリースだけ読んで映画の紹介す るなよ。ちゃんと観ろ、ちゃんと! 皆さん、この男の言う事を信じてはいけません。誰か彼の股間をゴムで縛っ てやってください。 ではまた。 


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